-----七日町の観音堂----- 明治21年(1888)5月8日午後8時 南町21-1伊藤芳治郎宅から出火。 一日市、七日町に延焼 9日午前1時頃 柳福寺の 本堂(護摩堂)、庫裏、観音堂、六角堂、鐘楼・梵鐘が類焼した。 本堂は桁行七間三尺・梁行五間 文化六年(1809)六月十五日慶浩代落慶 観音堂 々四間弐尺・々四間弐尺 六角堂 六尺六面 鐘楼 々三間 ・ 々弐間 庫裏 々三間三尺・々行間三間 梵鐘 高三尺六寸 径二尺五寸 量目百五十貫目 天明七年(1787)六月藩の時鐘として鋳造され柳福寺に置かれた 弘化四年(1847)火災に会い尺余りのヒビが入り 同七年に補修したが良くならず。 今回明治21年で更に悪化。 地金として売却して再建 の資とする。 鰐口 尺三寸 量目貳貫目位 寛文二年(1662)二月 七間・五間の仮本堂が明治26年8月に再建された。 経緯などの届や申請書など 戸長、郡長、県知事、町警察、真言宗長者 への文書一括を綴じたものが残っている 明治廿一年五月 類焼事件諸願伺扣 真言宗新義派 柳福寺住職 細谷周芳 |